軽いフットワークで市民の声を政治に活かします
むとう千里の「はっぴぃ通信」
2011年5月26日 239

地震と津波が襲った町――宮城・石巻に支援物資をもって
 5月20日から2泊3日で、宮城・石巻に行ってきました。石巻市は昨年の市議会常任委員会で視察に行った町。調布のみなさんからお寄せいただいたお米や野菜などの支援物資を詰め込み、東北自動車道を走って約8時間。途中、田植えが終わった田園風景を抜け、石巻市の少し手前にある大きな川を渡ったとたんに、町の風景は一変しました。広大な田んぼには瓦礫とひっくり返った車。信号もまだ復旧していないため、各地から応援に来ている警察官が交通整理をしていました。共産党の現地の支援センターに荷物を下ろし、ただちに仕分け作業。センターには毎日全国から支援物資が届けられ、また、それが軽トラックで市内各地に運ばれ、被災者の方々に手渡されます。

地震から2ヶ月半の町の状況

 石巻は、市域の約6割が津波をうけ浸水。死者3,025人、行方不明者2,770人で、宮城県内で最も被害の大きかった地域です。今でも100カ所に7,580人が避難所生活をしています。

 この2ヶ月半で道路の瓦礫は撤去されており、車で市内の被災状況を視察しました。

 沿岸には日本製紙の大規模な工場がありますが、ほとんど形を残さない状態でした。また、漁港や海産物の加工工場では大きな冷凍庫が破壊され、冷凍状態だった海産物が腐り、おびただしい数のカモメが群れていました。案内の方からは「窓は閉め切ってください」と説明されました。

 住宅街では、地盤沈下が激しく、今でも浸水している部分も。瓦礫の山と壊れた車、乗り上げた船が入り乱れて存在している風景が続きます。ところどころに「元気でいます。下記に連絡して下さい」などの貼り紙がありました。瓦礫の中や、道路沿いには「全国の皆様、ご支援ありがとうございます」「がんばろう!石巻」の看板も。

 市役所では「諏訪市」「長崎市」などの腕章をつけた職員も混ざりながら、土日返上で様々な手続きが行われていました。

汚泥のかき出しボランティア

 その後、市内Aさん宅の床下の汚泥撤去作業に。計15人で1日半かけて汚泥をかき出しました。Aさんは震災時、ご夫婦で自宅に居たとのことで、「津波が来る」と思い「何もいらない、とにかく逃げよう」と車で高台に移動し命だけは助かったとのことでした。しかし、事務所兼自宅は津波でめちゃくちゃ、今も避難所生活が続いています。住宅地の瓦礫撤去はまだまだこれからで、自宅の改修などの見通しは不透明。それでも、みんなで力を合わせて作業したことに、とても感謝して下さり、別れる時、見えなくなるまで手を振っていらっしゃいました。

 短期間の滞在でしたが、町の惨状と悲しみを胸に秘めてたくましく生き抜く人々、全国からの復興支援の輪を目の当たりにして、私もできる限りの支援をしようと決意を新たにしました。